保育士を目指す夢を実現したものの、理想と現実のギャップに直面した経験
保育士をしていたMOMOです。保育士の資格を取ったのは、大学を卒業して通信教育を受けて、独学で資格をとりました。大学を卒業してから一般企業に勤めていたのですが一生自分を生かせる仕事ととりたいという思いがあったので、保育士の資格をとりました。保育士の資格をとったのは、28歳のことです。
子供と携わる仕事をしたかったというのも、小さいころの夢であったということもあります。わたしは、10年以上マイペースですがピアノを習っていました。そのことも長年続けてきた習い事の一つでもあるので、ピアノをひくことを生かしたいう思いもあったのです。
そして、やっとの思いで保育士の資格をとって胸をはずませながら、私立保育園に勤めることになったのです。
はじめのうちは、他の若い先生にくらべて遅いスタートだったので気が引ける部分もありましたががむしゃらに頑張っていた自分がいます。
気づくと半年がたっていました。初めての保育園ということもあり、何の疑問も持たずに働いていました。
しかし、ふと気づいたとき自分の理想の形ではない子供たちの教育に疑問ともったこと、そして保育園側の経営方針に自分の考えてかなりずれがあったことに気付いたのです。表面的には、休日の日でも休日出勤をしたりして行事ごとの準備をしたり、平日は夜の23時まで残って作業などもありました。
しかし、残業代はつきません。園側からすると、自分の時間の使い方や能力に問題があるような言い方をされました。
私立保育園は、公立の保育園に比べて個性をだす園をだすのです。例えば、小さい子がのぼりぼうに乗っている姿をみていて、けがなどを心配してハラハラドキドキしていたのにたいして、園側はのぼり棒ができて当たり前、できない子はできるようにしてくださいと指示があったのです。
子供はそれぞれ個人差があるにも関わらず、人格を無視したような気がしたのです。他の保育園の特色の違いを出すために英会話をしたり、たいこを覚えさせたりと次々にゆったり過ごすことのない機械のような教育でした。
わたしの中では、子供はのびのびとゆったりした時間を過ごすこと、余裕のない生活を毎日毎日強いられる子供たちは将来どうなるのだろうと心配になりました。私のイメージとは違う園の方針に納得がいかずやめました。
保育士としての経験―厳しい親御さんとの対応と、最終的な決断
私が保育士をやめたのは、いわゆるポンぺからの執拗な嫌がらせに嫌気がさしてやめました。大学を卒業後、一般企業に勤務していましたが、教育関係の仕事に就きたいなと思い、保育士資格を取得できる試験を受けて、合格しました。
保育士のほとんどが、大学で保育学科などで資格を取得して、保育士の仕事に就くというのが一般的だと思うので、私のようなタイプは珍しかったと思います。でも、資格は資格ですから。
想像していた以上に、親御さんからの要求が多かったこと。仕事にしては給与が安いというのは、働く前から分かっていましたし、それにやりがいを感じて、転職したので、給与が安いのは文句はなかったです。仕事も、体を動かすことで、体力的にはきつかったですけど、子供たちと接することで、日々、自分の中でも色々と学ぶことがあったので、仕事自体は楽しかったです。
親御さんの要求と言っても、当たり前のことでしたら、それが仕事ですから問題なかったのです。例えば、普段よりも朝食を食べないので様子を見ておいてくださいなど、これは保育士として当たり前ですから問題ないですが、子供の我儘は全部保育士の責任にしてしまう親御さん。子供同士の喧嘩で納得いかず、暴言を吐かれてしまうこと、週末休みだったのですが、急遽仕事が入ったのでみてくれないかと、携帯に電話が来たりもしました。
それは仕事外だったので、断るとそれでも保育士かと罵倒されました。保育園の父兄のカラーっていうのもあるらしく、私が勤務していた保育園の親御さんは、高学歴の方も多かったようで、保育士を下に見ている感じでした。暴言や罵倒など、最初はこんなものかなと思って傷んですけど、他の保育園の講習などがあり、保育士の方と触れあって話を聞くと、異常だということに気がつきました。
最終的に一番の原因になったのは、あるお母さんに頬をびんたされたことです。子供が汚い言葉を使うようになったということでした。
保育園の時間は気を付けて見ていたのですが、そういう言葉使いはありませんでした。
それを伝えると、家に問題があるのか?と言われて、びんたされたんです。すぐに、副園長先生が来てくれたのですが、三月になったらやめようと決意しました。びんたは、障害ですから、被害届を出そうか迷ったのですが、園長先生から、それだけは避けてほしいと言われて、やめました。
同じ街に住んでいるで、たまに子供もお母さんも見かけますけど、こちらからは声をかけません。すごく保育士をしたかったわけではないので、それから保育園で仕事をしていません。
夢に憧れた保育士の挫折と再スタート―新たな道を探し、保育士への希望を持ち続ける
現在は、障害者の福祉施設で勤務しているるるかです。子供が好きで保育士をしていましたが、先輩保育士の嫌がらせや上司の無理な仕事の押し付けに耐え切れず保育士の仕事を辞めました。
私は、自分自身が子供のころから保育士に憧れていました。自分を担当してくれた保育士がとても好きだったことと、家庭環境があまり良くなかったので、親以上に優しくて時には厳しいことを言ってくれる保育士をとても信頼していました。
また、当時の保育士は私の親が虐待のようなことを私にしていた時に私を救ってもくれました。このような背景から、私は自分自身も子供に寄り添う保育士、保護者の支援もできる保育士を目指していました。
ところが、私が勤務していた保育園はとにかく子供を預かって安全に返せばそれでいいという考え方の保育園でした。保育に対する希望や信念を持って働いている保育士は誰もいませんでした。
中には、保育に対して高い専門性を持っている先生や、現在の状況をあまりよく思っていない先生もいたのですが、そのような先生はもっと待遇の良い保育園に転職していってしまいました。
私が働いていた保育園では、給与は派遣社員の事務でもしていた方が良いというくらいの収入しか得られませんでした。ボーナスもほとんどありません。しかし、勤務時間は朝から晩まで拘束時間が長く行事前には非をまたぐような残業も当たり前でした。
上司は、古い考え方の人で、若いうちは「お金をもらって勉強していると思え。」というような考え方を押し付けてくるような人です。残業も当たり前だし、出来ない仕事も泣きながらでもやりなさいと言われていました。
そんな中、私はあmりにもやる気のない保育に嫌気がさしてとうとう先輩に物言いをしてしまいました。それが先輩の機嫌をそこねてそこから完全に無視される毎日が始まりました。
保育士の仕事は、保育士同士が連携を取らなければ仕事になりません。ですが、私のことを職場のみんなが無視するので子供の安全が確保できないこともありました。そのうち、仕事を何も任せてもらえなくなりました。
この保育園では、自分の理想の保育ができないばかりか、本来なら子供に道徳や倫理を教えるはずの場でいじめまで起こっているということに嫌気がさしてしまい退職することを決意しました。
保育の仕事に夢を持っていただけに今は、しばらくは保育の仕事を離れて客観的にもう一度見直してみたいと思っています。今の仕事もやりがいがあります。保育に通じる部分もありますので、ここで精いっぱい働いてまた、元気になったら保育士の仕事に復帰したいと思います。