保育士を辞めた人の本音体験談|新たなキャリアへの踏み出し方とは?

保育士の道を選び、苦難と決断―新たな人生への一歩としての保育士の経験

私立保育園で2年間勤務していた『みるくてぃー』と申します。

子どもが好きで、子どもと関わる仕事がしたくて保育系の短大に進学し、保育士になりました。

短大に在学中、OGの先輩の体験談や、授業中の話などから、『保育士は書類仕事が大変』『子どもと遊ぶだけが仕事ではない』『待遇も良くない』…といった、保育士として就職するマイナスの面も理解していたつもりでした。

それでも、『私は子どもが好きだし、それくらい乗り切れるだろう』と高を括っていた私は、保育士の道を選択したのです。

保育士になって1年目、担任を持たせてもらいました。

短大の同級生たちのほとんどが、“先輩の先生と一緒にクラス担任(副担任・副々担任)”だったのですが、私が就職した保育園は正職(正社員)の数が足りず、私は1年目からクラスの主担任(1人担任)に。

しかも、就職前の研修などが一切なく、担任をするクラスの年齢・情報も何も渡されず、4月1日に入社していきなり、『このクラス、4歳児20人の担任ね。

もう子どもたちは登園してるから~』と言った状態でした。

その時点で、『あれ?』と思えればまた話が違っていたのかもしれませんが、就職した直後のやる気に満ち溢れた、未知な私は『頑張らなきゃ!』という気持ちだけで終わってしまっていました。

主担任ということは、毎日の保育から、保護者対応、書類仕事など、クラスのことは全て自分でしなくてはなりません。

いくら短大で保育士の勉強をしたからといって、すぐにできるわけではありません。

でも、子どもや保護者の前では、ベテランも新任も同じ『先生』です。

その責任の重さが、日に日にすごく大きく感じるようになりました。

子どもが転んで頭をぶつけた。

子ども同士のトラブルで一方が怪我をしてしまった。

眼鏡を他の子が踏んでしまった…毎日いろんな出来事があり、精神的にとてもきつい時期もありました。

保護者に『先生、保育士1年目なの?なのに1人担任?』と聞かれたこともありました。

また、私が勤めていた園は、毎月の誕生日会、年2回の参観・遠足や、年度末には生活発表会…などなど、たくさんの行事がありました。

特に運動会には、4歳児は鉄棒の前回り、5歳児は跳び箱5段ができないといけない、などといった昔からのルールのようなものがあり、それを子どもたちに達成させるのもすごく苦労した記憶があります。

時々、他のクラスと合同で見せ合いをしていたのですが、反省会で『もうちょっと頑張らないと…』と言われることもありました。

日常の保育もそうですが、他のクラスの様子・保育を見たくても、自分のクラスがある分、そういった見学も気軽にできず『どうして1人担任にしたんだろう』と思ったり、15年目のベテランの先生のクラスと比べられ、どうしようもない苛立ちまで覚えたりしたこともありました。

そんな状況でも、個人的に保育士を辞める原因になったのは『勤務時間』と『給料』だったと思います。

勤務時間は、ほとんどが子どもの保育をする時間と保護者対応に当てられていました。

子どもが昼寝をしている間も休憩はなく、20人分のお帳面を書いたり、行事の会議・園内の掃除に追われ、トイレに行く時間が取れればいい方、というくらいでした。

遅出・早出関係なく、平日はほぼ毎日、7時~19時勤務で、持ち帰った仕事を家で1~2時間程度して、それでも足りないため、休日も数時間は仕事をするような状態。

それでも、残業代はゼロでした。

家で仕事をしている分も含めると、月100時間ほどの残業をしていたと思います。

それでも、月の手取りは15~16万円程度。

手取りとはいえ、時給換算をすると最低賃金をはるかに下回る数字になります。

その少ない給料の中から、製作の試作のための材料だったり、絵本だったりといったものも、実費で出すのが当たり前の園でした。

もちろん、製作の材料(折り紙・画用紙・モール等)は保育園に置いてあるのですが、『実際に子どもが使う分ではないのなら持っていかない』という暗黙のルールのようなものがあったのです。

そんな待遇に違和感や疑問を持ち始めたのが保育士になって2年目の頃でした。

そしてその違和感が、完全に『辞める』という決断に変わったきっかけが、先輩の給料明細が見えてしまったこと。

20年目の先輩の給料も、私とほとんど変わりませんでした。

就職する前から、私は『子どもが好き』だからこそ、いずれは結婚をして、自分の子どもを育てたいと思っていました。

でも、平日はほぼ仕事して寝るだけ、休日も半日くらいは仕事をしているという今の生活で、結婚相手を探せるのか?結婚して子どもができても、子育てをする時間はないのでは?逆に、もし結婚しなかった場合でも、この給料のままでは1人で生きていけないのでは?…と、今後の自分の人生を考えた結果、『保育士を辞める』という選択を選びました。

園によっても待遇が違うため、『別の園に保育士として転職する』という選択もあったのですが、2年連続主担任をした私は、その責任の重さからも逃れたいと思うようになっていました。

現在、保育士を辞め、残業のほとんどない事務職に就いています。

給料も保育士の時とほとんど変わらないし、残業がない分、プライベートの時間が多く取れるようになりました。

保育士としてがむしゃらに働いていた期間が少し馬鹿らしくも感じてしまいますが、いい経験にはなったかな、と思っています。

保育士を辞めて2年が経ちましたが、退職してすぐにいい人と巡り合い、結婚することができました。

まだ子どもはいませんが、私は保育士を辞めて良かったと思っています。

保育士の現実と苦悩:体と心を壊す厳しい職業からの脱出と新たな未来への一歩

まみこ(32歳)と申します。

夫と娘の3人暮らしで現在は事務パートをしています。

短大卒後から27歳まで、地元横浜市の小さな認可保育所で勤めていましたが、腱鞘炎・ヘルニア・自律神経失調症を患ったことをきっかけに保育士を辞めました。

乳児クラス担任の時、赤ちゃん達の毎日の抱き上げ・抱き下ろしが原因となって利き腕の右手首から肘が酷く腫れてしまいました。

サポーターも付けないまま毎日汚れ物を洗ったり離乳食介助を続けたところ、バネ指も発症して保育業務に支障をきたすようになりました。

また、4歳児クラス担任の時は、大縄跳びを回している最中に背後から男児に体当たりされ、ぎっくり腰を経てヘルニアになってしまいました。

就学前児クラス担任の時は保護者とのトラブルが増え、不眠やめまいや突然の失語に見まわれました。

内科で自律神経失調症と診断され、以後漢方薬と安定剤を飲むようになりました。

保護者から持ち込まれる要望は多彩で、どうやって回答したら納得してもらえるだろうかといつも悩んでいました。

特定のアトピーっ子に近づけないでほしい、プールの着替えの際は男の保育士を部屋から出してほしい、園の食事は栄養バランスが心配だからサプリメントを飲ませてほしい等、中には言いがかりに近いような申し出もありました。

自分が働いているストレスを保育士にぶつけるような保護者もおり、連絡帳のやりとりが苦痛で仕方ありませんでした。

その頃から、園児の名前を間違えたり、ロッカーの着替えの名前を確認しないで別の子に使ったりといった凡ミスが目立つようになり、チーフから注意されて落ち込むことが増えました。

26歳で結婚し、そろそろ自分の子供がほしいと思い始めましたが、そのためには薬の服用を止めなければなりません。

腱鞘炎・ヘルニアの痛みが限界に来ていたこともあり、思い切って退職を決意しました。

「退職は無責任だ」「体が資本なのに鍛錬を怠る方が悪い」「担任クラスの卒園まで待つべきだ」等と保護者から罵られましたが、園長の無関心ぶりやスタッフ間の仲の悪さに対する嫌気も募っていたので、6月末で退職しました。

園で育てる作物の備品(腐植土、支柱等)の購入費用が保育士の持ち出しだったことについても、モヤモヤした感情が残っています。

保育士の仕事は体と心を壊します。

私は子育てが終わっても、保育士に復職するつもりはありません。

保育士の厳しい現実と限界:改善されぬ環境と待遇に向き合い心が折れる日々

保育士で非常勤を1年、緊急在宅要員として2年勤務したこびんです。

子どもが好きで、保育士免許を取得し、始めは非常勤として勤務しました。

勤務先はこども園になったばかりの園で、園長先生を始め、全ての職員がこども園の運営の仕方を手探り状態でした。

こども園は、お迎えの時間が2回あったり、保育園の先生と幼稚園の先生、どちらも勤務されており、双方の考え方、やり方の違いなどから、職員間の揉め事がとても多かったです。

そんな中、全くの未経験で非常勤として勤務したのですが、初めから行事を任されたり、音楽会の指揮や指導を任されたりと、かなり精神的にきつかったです。

人手不足だったので仕方なかったのでしょうが、、、
また早朝、居残りの勤務や、土曜出勤などが多く、自分の時間が全く取れない状況になりました。

また、園長先生が全然休んでいないから、それに、人手不足だから、という理由で有給も取らせてもらえませんでした。

そこで、翌年からは在宅緊急要員として登録し直したのですが、人手不足で、1年目は0歳児担当を、2年目は障害を持った子の加配に指名されてしまいました。

1年目の0歳児のお部屋では、ベテランの保育士さんの子どもへの虐待が酷く、何度も他職員や園長先生に訴えました。

園長先生は、自分の目で確認したら必ず注意する、というものの、園長先生の前では、大人しくされていたので、結局改善されることがなく、このままで本当によいのだろうか、止められない私は結局加害者同然なのではないか、ととても辛い日々でした。

2年目の加配でも、毎回の行事に向けて自宅でかなりの時間下準備をしたり、個別配慮をまとめる書類を沢山書かされたりして、結局非常勤と同じ量の仕事をこなしていたと思います。

それでも在宅は、時給で、ボーナスなどもなく、凄く損をしている気分でした。

他の園で勤務した事が無いので比べようはないのですが、この園は辞める職員の数が凄く多く、その事は他の園でも有名だったようです。

子どもたちはとてもかわいいし、やり甲斐のあるお仕事ではありましたが、職員間で常に嫌味や悪口、不平不満を言い合う環境、無駄の多い仕事内容、それに見合わないお給料、虐待職員、そういったものが積み重なり、心が折れました。

保育士の仕事は本当に好きなのですが、環境や待遇が改善されない限り、もう一度保育士をやろうとは思えません。

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