保育士を辞めた人の本音体験談|新たなキャリアへの踏み出し方とは?

保育士としての苦悩と辛い経験:限界を超える働き方に精神がすり減る

名前はあっさと言います。

1年と3か月保育園でお仕事をしていました。

私は社会人になってから自力で試験を受けて保育士の資格を取得しました。

27歳の時に念願の保育士として、とある株式の保育園に就職をすることになりました。

入社の前日、緊張もありましたがそれ以上にワクワクとした気持ちでとても楽しみにしていました。

子供たちの笑顔、先生達との助け合い、夢を見ていました。

しかし、入社して、1週間で私は初めて人前で泣きました。

子供の名前がわからない状態で、子供10人のトイレを任せられ、先輩の保育士には「なんで動けないの?ムカつくんだけど」といきなり罵られ、そこそこ社会人として自信があった自分のプライドはズタズタになりました。

しかし、最初は誰だって上手くできないもの、この悔しさをバネに私は働きました。

子供との関係も良好になり、人間関係も我慢できる程度にはなりました、が。

休みの日も仕事に追われる毎日に、精神はすり減りました。

隔週の金曜日にある会議は夜の10時すぎまで。

早番の場合は朝の6時30分には園にいきます。

会議の時は夜遅くまで拘束されます。

朝の6時30分から夜の10時まで缶詰です。

月に必ずある行事の準備ではそのたびに居残りで子供たちの衣装づくりや、工作の作り物。

残業代はほぼ着かず、サービス残業です。

日案や月案、年カリは勤務時間で書くことは不可能です。

休みの日に仕上げるしかありません。

ほとんど、家でも仕事をしている状態です。

それでいて、園長先生は保育士に当たりが強く、怒鳴るなんて当たり前。

何をするにも園長の許可が必要でした。

私がいた1年と少しの間で保育士は10人やめました。

泣きながら手が震えて動けなくなり、そのまま来なくなった人、逃げるようにいなくなった人、診断書をたたきつけてやめた人、栄養士や調理師もみなやめていきました。

1年たってクラスリーダーに任命された私はプレッシャーと、1年目の辛さがまた繰り返される、もっと仕事が増えるという恐怖から、保育園に行くことが怖くなり、子供たちの前でも涙が止まらなくなりました。

家に帰ればみっともなく親の前で号泣し、休みの日は何もする気が起きず、ボーっとするだけ。

親には、「うつ病になる前にやめなさい」そういわれ、私も自分がこれ以上病まないように、保育園を辞める決意をしました。

辞めるのにも大変な思いをしました。

「今やめられたら困る、あなたが辞めるまでに新しい人を準備しろってことね?」と威圧的な態度をとられ、まさに辞めるその日まで地獄でした。

あれほど憧れていた保育園、今は違う形で子供と関わっていますが、二度と保育園という場所には行きたくありません。

保育園の前を通るだけでも、気持ちが辛くなるほどのトラウマとなりました。

保育士の給与格差、モンスターペアレント、そして劣悪な労働環境:保育園での苦悩と決断

アラフォーのペンネームはミサコです。

女子短大を卒業後、もう少し保育について勉強をしたかったので、大学に編入をして専門的な知識を身に着けました。

通っていた大学は幼稚園から大学院まで揃っているマンモス大学で、地元では評判のよい学園です。

保育士と幼稚園教諭の免許を取得したので、保育士として働くことになりました。

22歳で保育士として働くことになりましたが、すぐに職場の雰囲気があまり良くないということに気づきました。

その理由は、学歴により給与面で差があることでした。

自分のように大卒で採用されている人は3割くらいで、それ以外の人が7割を占めていますが、給与面でかなり格差がありました。

自分は全体と比べると、比較的よい給与をもらっていたこともあり不満はありませんでしたが、そうでない人からは結構辛辣に言われることもありました。

イジメのような感じになったこともあり、辛さを感じることがありました。

ただ半年くらいすると、嫌味を言われても知らないふりをして仕事に集中するようにしました。

次に嫌だと感じたのは、モンスターペアレントが想像以上に多いということです。

保育園では預かる時間に決まりがありますが、それに遅れても平気な顔をして謝罪の1つもしません。

それなのに少し保育園内で怪我をすると、怒鳴り込んでくることもあるので精神的に疲労をしてしまいます。

しかしその問題については、結構年配のスタッフがはっきりと言い返してくれたので良かったですが、若い年齢だと結構親からなめられるのか言いたい放題言われることが多いです。

これらの嫌なことはツライけれど何とか我慢できましたが、やめるきっかけになったのが、保育園のシステムに問題があったことです。

採用された後の説明会では、残業はほとんどないし、あっても手当がつくという話でした。

しかし実際にはサービス残業が定番になっていて、シフトなども決められたものを勝手に変更しようというスタッフが少なくありません。

もっと誰か権限のある人がびしっと正してくれればいいのですが、そういうこともなかったのであきらめて退職をしました。

子供が好きであれば、世話をして大変なときでも乗り越えることはできます。

ただ保育園の福利厚生や人間関係だけは耐えられないことが多いので、働くのであれば、その部分をしっかり確認することをおすすめします。

保育士としての転職決断:給与格差、サービス残業、そして精神的苦悩

私は専門学校で資格を取り、実習でお世話になった保育園に臨時職員として就職後、地元に帰るために1年で退職し、地元の保育園で同じく臨時職員として6年働きました。

社会人1年目は、障害児担当でしたが、途中で担当の子どもが退園してしまった為、それからはフリーの保育士として主に乳児クラスの補助をしていました。

仕事事態はそこまで辛くなく、保護者とも職員とも良好な関係を気づけていましたが、職員間で派閥があり風当たりを強く受けている職員がいたり、あまり仕事が丁寧でない職員に対しての陰口が結構あり、私自身も裏で何を言われているのかと思うと少し怖かったです。

この園は私立の為、給料は悪くはなかったのですが、行事に力を入れていて、だいたい帰る時間が19時~21時とサービス残業がかなり多くなかなか自分の時間をとることができませんでした。

10年働けば正社員になれるとこのこでしたが、結婚しても続けて働くのはかなり大変そうだったので退職しました。

次の保育園では、6年間ずっと主担任をしていました。

最初の1年は、なぜか園長と副園長に目の敵にされ、何をしても気に入らないようで強く当たられ、小さな園で逃げることもできず精神的に辛くて家に帰ると毎日泣いていました。

1年で辞める予定でしたが、経営元との面談で他の職員や保護者からも園長等の評判がよくないということで、園長等(嘱託職員)が違う部署に異動することを条件に雇用を継続しました。

地元ということもあり、保護者とも良好な関係を築き、仕事事態は順調でしたが、職員数が少ない為有給をとることがほとんどできず、書類や行事の準備等1人の仕事量が多いのでサービス残業や持ち帰っての仕事がかなりありました。

それでもお給料がよければ我慢できたのですが、お給料は日給制で時給換算すると740~800円程度で国家資格を持っているはずなのに、コンビニのアルバイトに毛がはえた程度しかありませんでした。

結婚に向けて実家暮らしを辞めて独り暮らしをしたかったのですが、その給料では独り暮らしのための資金を貯めることはできず、もし独り暮らしを始めても暮らしていけないと思い、思いきって転職しました。

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