保育士を辞めた人の本音体験談|新たなキャリアへの踏み出し方とは?

保育士から主任への転身、妊娠との葛藤、そして退職―私の保育士人生の軌跡

子どもの頃から保育士になりたいという夢を持ち、専門学校に通って保育士資格を取得しました。

専門学校卒業後は、新卒で認証保育園に就職することができました。

新規開設の保育園だったので、新卒の私でもとても働きやすい環境だったことを覚えています。

私と同様に新卒の職員や何十年も保育士をやっているベテラン職員など様々いましたが、みんなとても仲が良く毎日楽しく仕事をすることができました。

新卒かつ新規開設の保育園ということで、手作りのオモチャや保育用品を準備したり園児募集のビラをポスティングしたりと様々な経験をさせてもらえた職場です。

また1年目から担任を持つことができたので、自身や責任感、子どもに対する接し方や注意しなければいけないポイントなどを早く習得することができたと思っています。

子ども達や同僚達と日々学びながら楽しく仕事を続けて4年ほど経った時、職場の少し離れた場所に系列園としてもう1つ保育園を新規開設することになりました。

そこで私は新しい保育園で主任として働くようにと辞令が出されたのです。

正直もっと上を目指してキャリアアップしたいと考えていたので、とても嬉しかったです。

すぐに異動することを決めました。

異動が決まってからは、備品の準備や入園に関する説明会、選考など様々な事に関わることができました。

とても良い経験になったと思っています。

しかし主任になってからは、これまでよりも書類のチェックや作成などが倍以上に増え、毎日一人で残って仕事をしたり持ち帰ったりすることも珍しくはありません。

さらに苦情受付担当もしていたので、保護者からの苦情や相談などを毎日聞いていました。

しかしこれも自分自身が成長するためだと思って、積極的に仕事に取り組んでいました。

当時私は結婚したばかりで、早く自分の子どもが欲しいと考えていました。

そんな事を思っている矢先に、妊娠が発覚したのです。

しかし当時は職員に余裕がなく、さらに産休に入ったばかりの職員もいたので、私の妊娠を喜んでくれる人はいませんでした。

「なぜこのタイミングなの?」と言われたこともあります。

正直それがショックで、仕事に対する全てのやる気を失いました。

しばらくすると悪阻が始まり、毎日通勤途中や仕事中にトイレへ駆け込む日々でした。

妊娠中のせいか情緒不安定にもなり、何もかもが嫌になったのです。

毎日一人で職場に残って大量の事務作業をする事、毎日特定の保護者から他の職員に対する苦情を聞かされる事、私の妊娠を迷惑がっている上司がいる事、これを全て打ち明けて退職をしたいという事を伝えました。

上司には、「そんなにメンタルが弱いんじゃ母親になんてなれないよ」と言われ、それもショックで絶対にこの職場を退職すると決めました。

引き止められたこともありましたが、何が何でも辞める事を伝え妊娠8ヶ月の時に退職しました。

当時は拘束時間も10時間以上あったりと、少々ブラック企業に近いような状態でした。

今は保育士や保育園の待遇が問題になっているので、様々な保育園がもっと働きやすくなってくれると良いと思います。

またこれまで職場で学んできたことは財産となり、2人の我が子の子育てに役立っています。

今となっては良い経験、良い思い出です。

保育士の夢と現実のギャップ:厳しい労働環境と収入の不安

子どもの頃からの夢を叶えるべき、資格取得をして保育の世界に入りました。
学生時代に実習を経験していたので、現場の様子は理解していたつもりだったのですが…。
たった数週間の実習では表面的な部分しか見えて居なかったのです。

環境によって異なると思いますが、私が働き始めたのは就職氷河期の頃。
正規職員として就職ができなかったので、非常勤職員として勤め始めました。

入ってすぐ「保育」の仕事ではなく、殆どが「雑務」です。
子どもの排泄の始末や、食べこぼしの掃除ならば、まだ子どもと接することができるので良い方です。
一日中、庭の草取りや畑仕事なんてこともザラでした。

「私は保育士として働いているの?」という疑問を抱きながらも、「新人なのだから下っ端仕事は仕方ない」と思うようにしてました。
だがこの環境がしばらく続きました。
非常勤職員には「保育」を学ぶチャンスすら与えてもらえませんでした。

退職者が増えても新規に職員を採用しないので、必然的に人員不足になります。
すると自ずと非常勤職員数が増えていき、クラスを受け持つようになります。
しかし保育士として先輩から教えられることなくきたので、突然クラスを受け持つのには相当なプレッシャーでした。

なにせ人員不足です。
先輩のフォローも殆どありません。
日々「これでいいのかな?」と思いながら、子どもの保育、書類作成、発表会の衣装づくりなどの業務をこなしました。
しかし業務とは言えども、子どもがいる限り保育を怠る訳にはいきません。

必然的にそれらの業務は持ち帰りの仕事となります。
もちろんサービス残業で。
そこで思ったのです。
「正規の職員は同じ仕事をしていうるのに、給料は私より多く貰っている。
それに引き換え私は…時給800円(当時)、昇給なし、賞与無し、割に合わないな」と。

好きな仕事をしているのだから、収入が低くても仕方ないと思うようにしてましたが、はやり背に腹は代えられない。
安定した生活費が確保できないと、いろいろな不安がつきまといます。

そして決定打だったのが、仕事のストレスから体調を崩してしまいました。
入院を伴う症状だったので仕事もしばらく休まざるを得なくなりました。
当然、非常勤職員なので保障もありません。

収入は途絶え、医療費もかかり、いつ契約が切れるかわからない綱渡りのような生活に嫌気がさすようになりました。
もちろん収入が全ての原因ではありませんが、自分の気持ちが冷めてしまったので仕事を続けることは難しくなりました。

これがきっかけで、一旦は保育の現場から退くこととなりました。
(その後、他の施設で再就職しましたが現在、体調を崩して休職中です。
今後の進路について迷っている最中です)

夢と現実の断絶─保育士の苦悩と葛藤

はじめまして。
ふくと申します。
小さい頃から憧れだった保育士。
やっと夢が叶い、希望に満ちた毎日になるはずだったのに、一年でその夢が破れた話をお話しします。

単刀直入に、辞めた理由は、仕事の多さと、人間関係です。

私が勤めた保育園は、定員120名のわりと大きない所で、行事に力を入れている保育園でした。

子どもの保育時間も長く、担任は1日フルで保育をする状態。
早めに上がって、残った時間で書類作成…なんて、一年で一度もありませんでした。

当然のことながら書類作成は時間外、家に持ち帰ってやらざるを得ない状態でした。
もちろん残業代は出ません。

初めにそのような契約で雇用を結んでしまったからです。
これは私の思慮不足もあると反省したものでした。

書類の量も多く、デジタル化の進んだ現代にそぐわず、書類は手書きで作成が決まりでした。

毎日の仕事に追われ、家に帰ると気づけば疲れて寝てしまっていることもしばしばでした。
日々の保育準備もままならず、休日も次の週の保育のことで頭がいっぱいで休めた心地がしませんでした。

特に行事前は最悪です。
早番だろうが遅番だろうが、保育園を閉める時間まで残る人が多く、自分のクラス分が終わっても、他のクラスの手伝いなどで、新人は先に帰ると先輩に陰口を言われたものでした。

新人だからとフォローしてくれるわけでもなく、というよりフォローできるくらい余裕のある職員がいなかったようにも感じます。

気に入らない新人に対しては、いじめともとれるようなこともありました。

そんな環境の中で、あれだけ夢見ていた保育士という職業に、失望していた自分。
自分の頑張りが足りないのではないか、自分が悪いのではないか、と自分を責め、どんどん精神的に追い詰められていきました。

そんな折、友人から転職の話を聞きました。
友人も子どもに関わる仕事をしていましたが、あまりの多忙さと給料の安さに全く違う職種へ転職を考えているとのことでした。

友人の話は、まさに目から鱗でした。
夢にしがみついていた自分。
それが上手くいかず、死まで考えるほどでしたが、その前に全く違う環境で気持ちを切り替えてみるのも悪くないのではないかという考えが私にも生まれたのです。

結果的に言えば、その後の転職は私にとって正解の道だったと感じています。

今でも私は子どもが好きです。
でもきっと、あのまま保育士を続けていたら子どもが嫌いになっていたことでしょう。

保育士の関わりは乳幼児期の子どもに大きな影響を与えます。
だからこそ、保育士自身が余裕をもって、ゆとりある保育ができるよう、環境を整えていく必要があると思います。

良い環境の中で働くことは、保育の質の向上にも繋がります。
劣悪な環境の中ではその逆です。
そしてそれが悪循環となり、結果として保育士不足が問題となるのでしょう。

保育士はただ子どもと遊んでいるだけではありません。
その職務の重要性を再確認し、それに見合う給料、処遇を検討していってほしいと思います。

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