保育士を辞めた人の本音体験談|新たなキャリアへの踏み出し方とは?

保育士という夢を捨てた10年間―苦悩と絶望の中で見た保育園の真実―

20歳の時に一念発起し、夜間短大に通い幼稚園教諭免許を取得。

卒業後幼稚園に勤務するもパワハラでたった半年で離職。

その後他ジャンルで働くもやはり夢捨てがたく、独学で勉強し国家試験で2年掛かりで保育士資格を取得。

いくつかの非常勤を経て、新規開園の保育園に正規職員として採用され、1から保育園を作っていくが、4年経過後完全に絶望し、きっぱりとこの業界から足を洗った。

私がこの業界で働き始めた頃から保育士の待遇改善の声が上がってきてはいました。

低賃金、3K、モンペ、加えていわゆる「女性社会」特有の派閥、パワハラモラハラ。

この洗礼を私は否応なく受け続けました。

「次の職場は…次こそは…」

そんな思いで転職を繰り返しましたが、状況は好転することはありませんでした。

非常勤で渡り歩き、ようやくたどり着いた正規職員募集、しかも「新規立ち上げ園」。

1から職場環境を作り上げることができる。

理想の保育園を作ることができる。

ここで骨を埋めるつもりで飛び込みました。

その園は、保育のことを何も知らない医師が立ち上げた保育園。

私は都度都度、そのオーナーである医師とぶつかりながらも、保育のことを伝えながら、子どもも職員も過ごしやすい保育園を作りたいと必死に動き回りました。

そんな中、やはりブレーンとなる人間が必要とオーナーは判断し、保育士の経験年数が多い管理職保育士を雇うことになりました。

中途で入ってきたその管理職候補にも、理想の保育感はあり、何度と無くぶつかりました。

まわりのパート職員もその保育士側に付き、四面楚歌でした。

それでも踏ん張って、味方になってくれた他の職員と踏ん張り続けると、その管理職は退職。

今度は味方になってくれた保育士が繰り上がりで上司になりました。

が、その上司は豹変。

ことごとく私のやり方に口を出し、まったく自由がなくなりました。

加えて、前上司側についていたパート職員が今度は現上司に付きました。

八方美人もいいとこです。

また、他の正規職員もその上司に付き・・・

理想を実現すべく、立ち上げから頑張ってきた私。

でも、キャリアというどうしようもない壁を何度も叩きつけられ、ほとんど末期にはほとんどやる気を失っていました。

今まで、この園をいい園にしようと奮闘してきたのは何だったのか。

自分の思いをぶつけても、難癖をつけて否定される。

また、賃金アップ等、待遇改善に向けても事あるごとに話してきました。

が、私が見た現実は
「この待遇でも必死にがんばってる私達は素晴らしい」
というドM精神に塗れた精神。

もっと良い待遇を勝ち取ろう、その価値は保育士にはある!という機運が全く感じられませんでした。

下手にキャリアの長い人間ほど、この悪い意味での「奉仕の」心」と言うなのドM感に侵されていました。

こんな人間たちと一緒に働いたところで、何も良くならない。

こんな人間しかいない世界にいる意味はない。

何が「人間形成の基礎を培う大事な時期に関わる大切な仕事」だ。

今の状況を変えようとせず、長いものに常に巻かれ、安全なところから他人を攻撃し、慣れたクソみたいな環境に居続けようとする。

そんな人間ばかりの世界なんだと気づくのに10年近くかかりました。

その保育園が5年目の春に新園舎を建てるという計画が立ち上がった時に、私はそこに行かない意を表明しました。

すると、オーナーを前にその上司は
「そんなに働きづらいのに、春まで我慢できる?もう辞めたほうが・・・」
と退職を促してきました。

年度内でしたから、年度末まできっちり務めるつもりでしたが、こんなことを言われて愕然としました。

厄介払のちょうどいい理由になったんだな・・・と。

その話し合いから数日後に退職。

身辺整理の期間は子どもたちにも会わせてもらえず、事務所からも出ることを許されず、昼前には帰らされました。

狭い空間で自分が朝作った冷めた弁当をモソモソ食べたあの惨めな気持ちは一生忘れない屈辱です。

あれから数年立ち、ふとこの園のホームページを見る機会がありました。

キレイな園舎、増えた園児、オーナーにとっては理想の成長でしょう。

しかし、職員紹介のページを見ると、私の知っている顔は、その上司以外いませんでした。

あの時上司の側に付き、私を攻撃した連中も、私がいなくなったことで次のターゲットとなったことが容易に想像できました。

クズ。

人間のクズの巣窟。

それが私が最終的に抱いた「保育士」という職業です。

無論、これは私の主観であり、一致団結しよりよい保育を実践し頑張っている素晴らしい保育園がたくさんあると思います。

ただ、そんな場所に私は巡り会えませんでした。

「次こそは…」
という気力ももう残っていません。

そんなわけで、私はもう2度と保育業界に戻らないと誓いました。

夢の保育士職に憧れ、辛酸を舐める現実―厳しい労働環境と向き合いながらの決断

子どもの頃からなりたいと夢見た保育士。”子どもが好き”という真っ直ぐな思いすら潰されそうなくらいに現実は厳しく、退職した
2021.11.22

初めまして。現在2児の母をしておりますしょこらと申します。
過去に2年間、認可保育園での勤務を経験しました。

幼い頃から夢見ていた保育士。
大人になってもその夢は変わらず、保育士免許と幼稚園教諭の免許を短大で取得し、憧れの保育園に就職しました。

4月の就職前に行われる研修期間から、保育園の厳しい現実を目の当たりにしました。

まず子どもの保育以外の事務的な仕事量の多さに驚きました。
私の務めていた保育園には事務員や清掃員、看護師など1人もいなく、その役割の職員がいればやらなくていいはずの仕事までも、クラスをもつ保育士が負担してやっていました。

早番は朝の6時45分までに出勤します。
その後園長に内線で出勤したことを報告します。

シフト通りなら、早番は16時には退勤できますが、そんなことをしている保育士は誰もいませんでした。
早番だろうが中番だろうが遅番だろうが、帰りはほとんど皆一緒です。

また、先輩保育士が帰らないと、若手の保育士は仕事が終わっても帰れないという暗黙のルールもありました。

先輩保育士からのいじめもあり、職員室の雰囲気はいつも最悪でした。
陰口や、わざと本人に聞こえるような悪口、またひどい時はものを投げつけられるなど、見ていられない光景ばかりでした。

若手の保育士の退勤時間は毎日だいたい21時頃です。
また園長に内線をし、最後に誰が鍵を持って退勤するのかを報告します。

当たり前のように残業手当はつきません。
何時間残業してもです。

だからと言って誰も早く帰ろうとはしません。
先輩保育士は若手保育士に仕事を押し付け、自分の仕事が終わっても雑談していてなかなか帰ろうとしませんでした。

早番だった時は帰り道が眠くて眠くて仕方ありません。
車での通勤だったのですが、過労運転で大変でした。

家には夕飯を食べて寝に帰るだけのようなものでした。

園長はなかなか保育の現場には現れません。
行事の時だけです。
それにも関わらず、行事に来た時目に付いた保育士に言いたいことを言って去っていきます。
ほとんどコミュニケーションというものがありません。

保育士に負担がかなりあり、皆余裕がなく毎日ピリピリしています。

1番苦痛だったのが、気持ちにも時間にも余裕があれば怒らなくていい場面で、子どもたちに当たり散らす保育士がたくさんいたということです。

子どもたちもそれに慣れてしまっているので、若手の保育士が少し注意しただけでは全く言うことをきかないのです。

だんだんと先輩保育士たちのような振る舞いに似てくる自分が嫌で仕方なく、退職を決意しました。

職員の手が足りていないので、簡単な理由では誰も辞められません。
先輩保育士の中で、授かり婚を理由に退職を願い出た人がいたのですが、職員会議での園長からの嫌味に耐えられず号泣していた姿は今でも忘れられません。

私の同期も4人いたのですが、そのうちの1人が授かり婚でした。
お腹が大きくなる前に、引っ越しという嘘をついて退職していきました。

私もクラスの子どもたちが可愛くて可愛くて仕方なかったのですが、このような現状を家族や婚約者に話していたところ、3年目を続けるのに反対され、退職しました。

結婚は本当にする予定だったのですが、結婚して保育園から遠い場所に住むという嘘をつき、園長を説得して退職しました。

どんなに魅力的なホームページの保育園でも、どんなに素晴らしい建物の保育園でも、やはり就職してみないと中身はわかりませんね。

お給料は、1年目手取りで15万円、2年目は16万円くらいでした。

ボーナスは夏と冬に2回ありましたが、残業手当は1円もつきませんでした。

ボーナスがあるくらいなら、残業手当をつけてもらった方がよっぽどお金になります。

当たり前のようにタイムカードがありませんでした。

出勤は遅刻するととても怒られるのに、残業はいくらしても怒られることも褒められることもありませんでした。

いまだに担当していたクラスの子どもたちの成長が気になるし、会いたいとも思っています。

本当に子どもたちが大好きでしたが、泣く泣く保育園を退職しました。

疲弊する保育士の日常:激務と未改善の課題

私は34歳のパイナップルと申します。

私が保育士を辞めた理由は勤務体制が激務であるということです。

保育士を目指していた短大生だったころ、保育士とは園児の遊び相手や教育をすることだと考えていて子どもが大好きな私にとっては天職だと感じていました。

しかし、実際に働いてみると園児のお世話はもちろんのこと、細々とした事務や雑務に追われて休憩時間すらまともに無い状態でした。
勤務中に終えられない仕事は持ち帰ってしていましたので心身ともに疲れ切ってしまいました。

まず、一般企業ですと昼食時は1時間の休憩がもらえますがら保育士にはありません。
園児と一緒に給食を食べますが園児が給食をこぼしたり、食べるのが遅い子のお世話をしなくてはなりません。
自分の給食は5分くらいでパパッと食べてあとは園児のお世話です。

保育士が唯一、ホットできる一時はお昼寝の時間ですが年中や年長になるとなかなか眠れない子もいます。
隣に寝転んでトントンとしてあげると自分が寝てしまいそうになります。
しかし、寝てはいられません。
昼寝の間に連絡帳にメッセージを書かないといけないのです。

私が勤めていた保育園では毎日、園児が保育園でどのように生活をしていたかを連絡帳に記載して園児の親御さんにお渡しをしないといけません。

それが結構、面倒でしっかりとした内容を書いていないと親御さんからクレームが入ります。
クレームを入れる親御さんの連絡帳にはより丁寧に気をつけて書くようにしていました。

また、クラスごとに「おたより」を作成して配布をしなければならないのですが、勤務中にはできないので自宅で深夜までかかって作成していました。

子どもがは可愛いのですが、実際の勤務内容と給料が見合ってないと心底感じています。

もっと保育士の仕事を簡素化するか、給料を上げてもらわないと長く続ける保育士がいなくなります。

実際に正社員として働くよりもパートで働くほうが気分も楽ですし責任もないので結婚後はパートにされる方が多いです。

もっと保育士の業務内容の改善を行うべきです。

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